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制定をなんか食い止めよう考えた岩手の石井省一郎県令(県知事)が地方長官会議(一八八八年)で政府に質問し、制定は不可避知るや「この上は、教育の方面で悉く始末をつけねばならぬ」主張し、このような地方レベルの動きが教育勅語制定の引金になったこは、よく知られている教育史上の事実なのです。
こうして、天皇制国家のもでは「教育宗教の衝突」や「教育民法」の緊張関係にみられるように、「教育」が「宗教」や「民法」を圧倒しました。
天皇制的教育が「教育」を独占的に僧称し、「始末をつける教育観」が教育観を代表するこになったのです。
そして、そのことによって、「民法」や「宗教」思想的に結びつく教育思想を、萌芽のうちにおしっぶしてしまったのです。
その教育はまた、警察行政結びついて理解されていました。
日本の警察制度をつくった川路利良はこうのべています。
「一国ハ一家也政府ハ父母也人民ハ子也警察ハ其保博也
我国ノ如キ開化未ダ治ネカラザルノ民ハ最モ幼者看倣サザルヲ得ズ
此ノ幼者ヲ生育スルハ保博ノ看護二依ラザル可ラズ」(『警察手眼』一八七六年、広中俊雄『戦後日本の警察』署披新書参照)
保樽はお守り役のことですが、家父長的国家にあっては、警察教育は相重なり相補うものみなされ、そのことによって警察はあらわな暴力性を掩いかくし、教育は徳育中心の教化へ転化していったのです。
そこには警察=教育的思惟も呼べる考え方がよく示されています。
その教育を受けるこは、兵役・納税並ぶ国民の三大義務の一つ考えられてきました。
戦前の「教育行政法」の書物には、「教育ハ……国家生存ノ為二臣民ヲ国家的二養成スルニアリ」「臣民ヲ強迫シテ其児童二教育ヲ受ケシムルノ義務ノ程度ヲ規定スル標準ハ……内外二対シ国家ノ生存ヲ保全シ得ベシノ一点ヲ採テ定ムルモノス」説かれていたのです。(小林歌書『教育行政法』一九〇〇年)
そして、子を就学させる親の義務は、「児童二対シテ負ウニ非ズシテ国家二対シテ負ウ」ものされたのです。(同書)
このことは旧民法の親権解釈も呼応するものでした。
「親義務」は「親が子を育てるのは子に対する義務いわんよりはむしろ国家社会に対する義務観念すべきである」され、「親義務」は「子どもの権利」対をなすものではないことが強調されていたのです。(穂積重遠『親族法』一九三三年)
こうして、近代日本の「国家ノ生存」を目的する国民の義務しての教育は、人権しての教育のいわば対極にあるものだったといえます。
この戦前の日本の教育は「忠君愛国」を中心する国民道徳の形成を第一の課題し、天皇が国民に与えた道徳訓しての「教育勅語」がその中心におかれていました。
また「修身」(遺徳)が筆頭教科され、国史・国語の教育合せて、日本の国体の「万国に冠たる」.特色が強調され、国家主義的・軍国主義的価値観もに、権威主義的な行動規範が教え込まれました。
日本近代の歴史は、戦争につぐ戦争の歴史でもあります。が、それに備える好戦的心性は、国民教育を通して準備されたいってよいのです。(拙著『天皇制国家教育』青木書店、一九八七年、参照)
初戦後改革その後-国家の復権偏差値教育一九四五年、敗戦によって、この体制に終止符が打たれ、新しい憲法教育基調碩鮨彗本法を袖する新学制が誕生しました。
憲法・教育基本法に盛
個人の尊厳人権の確立、自由・平等の実現をもめる人類のたたかいの歴史的な発展につながるものであり、同時にそれは戦前の日本のあり方に対する反省・批判して捷起されたものです。
それは、社会のなかでの教育の位置づけその機能にも変化を求めるものでした。
産業化がすすみ、都市化がすすみ、伝統的な共同体秩序が壊れていくのは歴史の必然であり、天皇制国家のもでも、この社会の深部からの旧秩序の変化は避けえないものですが、教育によってそれに「始末をつけ」、伝統的なものを守ろうする発想が強く見られました。
教育勅語の成立の背景や、臨時教育会議(一九一七1一九年)の論議などは、その代表的なものいえます。
これに対して、戦後改革期では、教育基本法の前文にあるように、人権平和を理念する新しい国づくりの「理想の実現は、教育の力にまつべきものである」され、教育は社会の革新の先頭に立つべきものして位置づけられたといえましょう
伝統秩序を守る後衛的位置から、理想の実現をめざす前衛的位置へ、それはあまりに大きすぎる変化もいえましょうが、社会革新の基盤をじっくり根づかせるため教育に大きな期待がよせられ、革新の成否は教育に賭けられたのです。
さて、新しい憲法は、教育を「すべての国民の権利」として規定し、精神の自由、学問の自由不可分に、教育の自由自律性が保障さるべきこは「憲法的自由」(意法原理から内在的に導きだされる自由)みなされ、憲法・教育基本法体制の中心的原理の一つなりました。
この時、義務教育の観念も大きく転換したのです。
「国民の教育を受ける権利」「義務教育の無償」を規定している意法第二六条は、精神的自由権(第一三条、第二一条等)を前提し、直接には第二五条の生存権の規定につづいており、「教育を受ける権利」は、生存権的・社会権的基本権の文化的側面にかかわる基本的人権の一つに位置つけられました。
義務教育の規定も、子どもの教育を受ける権利を現実に保障する手段して、その父母および国家社会が教育機会の配慮の義務を負うこなったのです。
教育は一人ひとりの人権であり、同時にそれはみんなのもの(共同・公共のもの)考えられたのです。
普通教育の無償の根拠も、教育が国民の義務だからではなく、権利だから無償なのです。
さらに、教育は自由な雰囲気のもにのみ花開くのであり、教育行政の任務は、そうした。雰囲気を助長するための条件をつくるこにおかれるべきで、決してその道ではない考えられるようになったのです。(アメリカ教育使節団報告、および教育基本法第一〇条)
教育内容も大きく変わりました。
教科書の国定制度は廃止され、誤記・誤植を訂する程度の検定が行なわれるだけで、教科書の自由は大きく拡大しました。
一九四七年三月に出された最初の学習指導要領には、旧来の教育内容が国家によって決められ画一的におしつけられてきたことを批判し、「こんどはむしろ下の方からみんなの中で、いろいろ、つくりあげていく」という方針が示され、教師が積極的に教育課程づくりに参加することを励ましていたのです。
それまで中心教科みなされてきた「修身」は廃止され、人権平和の教育を課題して「社会科」が発足した。こは、戦前・戦後の教育観の転換を象徴しています。
教育基本法の指し示す教育にあっては、社会についての科学的認識に裏づけられた人権意識もに正義平和を求める国民の形成が課題なりました。
そこでの道徳教育も、特定の教科としてではなく、道徳は全教育活動を通して形成されるものされたのです。
子どもたちの自主的活動適切な生活指導を通して、民主的な人間関係をつくっていくことも、道徳教育とされました。
生徒会活動も活発に行なわれるようになりました。
また戦前の軍国主義の否定の上に、平和を担う主権者を育てることが強く意識され、平和教育は人権教育もに戦後教育の中心課題とされました。
そのためには、社会科が重要な役割をもつのは当然ですが、幼児からの発達の全過程を通して個人の尊重・人間の尊厳の感覚をつちかい、ゆたかな情操を育てることも平和教育や人権教育の重要な内容、その土台をなすもの考えられてきました。
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